苦しかった日々

苦しかった日々

私は新卒で入った会社を半年で辞めました。

なぜ半年で辞めたのか?何をしたかったのか?
当時を振り返って書いてみようと思います。

 

ちょっと物語風にして書いてみます。基本ノンフィクションです。

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会社を半年で辞める

会社の MTG ルームにて。

社長「人生負け組になりますよ。転職もうまくいきませんよ。」

私「それは自分次第だと思うので、頑張りたいと思っています。転職するかもまだ決めていないの
で。」

社長「人生終わりましたね。」

私「終わったかどうかはまだわからないと思います。それでは失礼します。」

 

MTG ルームから出てきた僕に、周りの人が視線をさりげなく向けているのがわかる。心配そうに見る人、呆れた顔をしている人、何か起こったのか呑み込めず、興味津々に見てくる人。

 

そう、僕はこの会社を辞めることを社長に伝えたのだ。

 

新卒で入社して約半年。まだ社会人のイロハもわからないというのに・・・。
社長に辞めることを伝えてしばらくすると人事担当の方が僕のデスクまで駆け寄ってきた。

「それにしても急だね、何かあったの?」

「いえ、特段不満があったわけではありません。ただ、これからの自分の人生を考えた時に早く
やめるほうがいいと思ったんです。」

「んーそうなのかぁ。この会社はこれからも成長し続けると思うし、学べることもたくさんある
と思うけどなぁ。」

「仰る通りだと思います。でももう僕は決めたんです。すいません。」

 

 

僕は大学を 22 歳で卒業しベンチャー企業に就職。しかし新卒で入社して約半年後、後先考えずに会社を辞めた。

 

遅かれ早かれ、人の役に立つ事業をやってみたいとは思っていた。でもそれがいつになるか、そして自分はそれだけの才能があるのかは不明だった。むしろやれる自信は皆無に近かった。

 

大学生の時、周りには学生企業をしている人、NPO を立ち上げている人。国際交流イベントを企画運営している人など、自分のやりたいことをやっている人たちがたくさんいた。

 

当時僕はやりたいことがなかった。当時は強がっていたが、振り返ると劣等感の塊だった。

 

なので、とりあえず「知ってて損はないから」という理由で法学部に入り、人気のサークルに所属。

学生時代はそれなりに色々とやっていたが、自分のやりたいことに邁進している同僚や知り合いを見ると自分のふがいなさに自己嫌悪になった

そして大学での成績もパッとせず、自信喪失が原因で半年間うつ病になり、朝起きて着替えるのさえ苦労するくらいの精神状態に

 

 

そこから何とか回復して、何とか就職活動を開始。

何も考えていなかった日々さかのぼれば僕は、もともと就職活動を始めた頃は特に深い考えもなくつぶしが効くだろうという理由だけで大手企業に入ろうと思っていた。そのため就職活動は軒並み大手企業の説明会に参加し、エントリーシートを出しまくっていた。

 

しかし、応募した企業の書類選考でほとんど落ちる始末。ただ、その中でも数社は何とか書類選考が通り、面接に行くことができた。しかし、よくても2次選考か3次選考止まりで、結局大手の内定を一つももらうことができず。。。

悔しかったと同時にどんどん自信を失っていった。

 

『僕は社会で使えない人間なのかもしれない』

『どうせ僕は成功なんてできないんだ、幸せになれないんだ』

 

そんな声が頭の中を来る日も来る日もグルグル回っていた。

けれど、どこかに就職しないと生活していけない。そのため僕は、そこから大手や中小、ベンチャー企業関係なく企業を探すようにした。

その中で面白そうな会社の説明会に参加し、選考を受けることを繰り返していた。

やりたいことも特になかった僕は、一番自分が成長しそうな企業に就職することに決めた。

自分の内側に意識を向ける

入社 1 ヶ月目は、ひたすらインプットの日々。上司から渡された本を自分の机で読む毎日だった。みんなが仕事をしている中、自分だけ読書をしているようで、なんとも居づらかった。

2 ヶ月目からようやく仕事らしい仕事を任せてもらえるようになった。とは言っても、末端の中の末端の仕事。新卒だから当たり前っちゃ当たり前なのだが、それを毎日やりながら、焦りと不安と戦っていた。

『果たして、これをやっていて僕は成長するのだろうか。転職すべきか。このままこの会社に居続けるのも何か違う気がする・・・。』

こんな悩みを悶々と考える日々をしばらく過ごしていた。

 

ある日の会社帰り、23 時を回ったあたりで上司が帰ったことを確認し、ようやく会社を出る。
最寄駅に向かって歩く間、上記に書いたような悶々と答えが出ない悩みを考えていた。

前を歩く 20 代後半のサラリーマン2人組がお酒を飲んだのか、ちょっとフラフラしながら歩いていた。

その会話を聞こうとしたわけではないが、前を歩いているので耳に入ってきた。

「おまえ、最近元気なくない?」

「え、そう見える?」

「うん、お前らしさがなくなっている気がする」

「えーまじか?オレらしさって何?」

「はー?そんな哲学的なこと聞かれてもわからねーよ。本屋でも行って調べろや」

 

そんな会話を聞いていた僕はなぜか、「本屋」というワードがやけに気になった。

 

そして、
『そうか、何か知りたいことや解決したいことがあったら本を読んでみるのも一つの手だな』
と直感的に思った。

 

もう 23 時を過ぎていたが渋谷には夜遅くまで空いている書店がいくつかある。
僕は、悶々としている気持ちが少しでも晴れ、解決策が見出せればいいなと思い、駅に向かっ
ていた足を書店に 180 度方向転換した。

書店に着いたものの、今の自分の悩みをどの本が解決してくれるのだろうか。
第一、今まで本なんて自分から読んだことがないので、自らの意志で本屋に来ていることが奇跡だな、とふと思った。とりあえず店内をプラプラと歩いてみることにした。

『改めて歩いてみると、いろんなジャンルがあるもんだなぁ。』

と思いながら歩いていると、ビジネス書コーナーの一角に本が平積みされていた。

 

平積みされているということは、本屋が一押しとして売っているものである。どんな本なのかと立ち止まって見てみると、見慣れない文字が。

『ん?瞑想?』

本の表紙には「瞑想」と書いてあった。

 

言葉は聞いたことがあったが、具体的に何をするものなのかなどの言葉の意味は知らなかった。スマホで「瞑想とは」と検索エンジンで調べてみると、目を閉じて静かに考えること、などと書いてある。

『それって座禅みたいなものかな?そうだとしたらお坊さんとかがやるモノじゃないの?』

と思ったが、ビジネス書コーナーに平積みにしてあるので、仕事と関係あるのかな?と思い、1冊手に取ってパラパラと見てみた。前書きの部分を読んでみると、

“自分の中に全て答えがあります”

と書いてあるのが目に入った。

 

僕は書いてある意味が分からなかった。

『え、自分の中に答えがあったら本とかいらなくない?』

と心の中でツッコミを入れた。

 

我ながら鋭いツッコミだと思い、隣で同じ瞑想の本を手に取っている30代くらいと見られる女性に共感を求めて話しかけたくなった。(でもさすがに変質者だと思われるのでやめておいた)

とにかく僕はこの「自分の中に全て答えがある」という言葉の意味が全く分からなかったが、同時に非常に興味を持った。
無性にどういう意味かを知りたくなった。30 秒くらい考えて、この本を買うことにした。

 

本屋に寄ったせいで時計は 23 時半を回っていた。
僕は電車に乗り込むと早速さきほど買った瞑想の本を読み始めた。瞑想の本がなぜビジネス書コーナーに置いてあったのかの疑問を解くべく、真剣に読み始めた。
その本によると、瞑想をすることは自分の本当の部分とつながり、そして地球とつながることだと書いてあった。

『宗教みたいなこと書いてあるな・・・。』

と思ったが、著者のプロフィールを見ると、宗教とは関係なさそうな人だ。まぁとりあえず読み進めよう。

 

しばらく読み進めると、簡単な瞑想の方法が書いてあった。今まで瞑想なんぞやったことは一回もないのだが、物は試し、家に帰ってやってみることにした。

 

家に着くと 24 時を回っていた。
明日も 6 時起きで出勤することを思うと気持ちが重くなったが、せっかく瞑想の本を読んだのだ。今日やってみたいと思ったので、風呂に入り、歯を磨き、寝るだけの体制をさっさと整えて早速、本に書かれたとおりに瞑想をやり始めた。

心を静め、地球の中心とつながるイメージをし、あとはひたすら自分の呼吸に意識を向けるらしい。
こんなことやったことないので、あっているのか間違っているのかわからないが、とにかく本に書いてある通りに見よう見まねでやってみた。

 

本には20分くらいやると良いと書いてあったが正直そんな長い時間できるかなと思ったが、いったんやってみることにした。

 

瞑想を始めるとすぐに、いつもの悶々とした思いが頭の中を支配した。

『自分はダメな人間なのではないか』

『今の会社に居続けていいのか』

そして上司の顔、悶々としながら仕事をしている自分などが映像とともに思い浮かんでくる。

本には、いろんな雑念が浮かんでくると思うが、それはそれでいいとして受け流すようにして執着しないという意識でいてくださいと書いてあったので、その感覚がいまいちよくわからないが、そんな感じで受け流すことにした。

その後も次々と日々の生活でイラッとしたこと、貯金が少なくて不安なこと、このまま落ちぶれた人生で終わってしまうのではないかと言う不安、ある友人と関係が上手くいっていないこと、親のこと、仕事の同僚のことなど、色々と主にネガティブなことが浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返していた。

 

それぞれのシーンが頭に浮かんでくるたびに感情が揺さぶられた。でも受け流そう受け流そうと自分に言い聞かせ、なるべく呼吸に意識を集中させるようにした。

 

 

10 分くらいたっただろうか。徐々にそのような日々のことがそこまで浮かび上がってこなくなり、呼吸に集中できるようになってきた。吸って、吐いて、吸って、吐いて、の繰り返しに集中する感じだ。

15 分くらいたった頃、突然、映像がまた浮かび始めた。

『あーまた雑念が出てきてしまったか』

と一瞬思ったが、瞑想を始めてすぐに出てきた日々の出来事の「ネガティブ再現 VTR 」ではないようだ。今まで見たことがないシーンが次々と出てきた。

 

自分でもちょっと驚きながらその映像を眺めてることにした。

 

眺めると言っても、今僕は瞑想をしており目をつぶっているだけなので、自分の頭の中の映像を見ている、という感じだ。
どれも見たことのない映像だった。でもどれも自分の心を穏やかにさせてくれるようなものだった。

 

どんどん僕は心地良い感覚に包まれて、安らぐような映像が浮かんできた。
同時に、自分の今までの思いや感じたことなどがよみがえってきた。

・・・人に合わせすぎて神経をすり減らしていたこと、
世間がカッコいいという価値観に合わせて、自分もそうならなきゃと頑張っていたこと
自分は価値のない人間だと、ずっと自分にひどい言葉を頭の中でかけていたこと
・・・

『あー自分ってこんな風にしてたんだー。確かにそうだよな。。。』

すると、次に頭の中にキーワードが浮かんでいた。

 

・自分をわかってやることが大切
・まずは自分を知ること
・自分がどういう人間なのかを自覚すること

僕は静かにこの言葉たちを頭の中で反すうした。

 

確かに僕は、学生時代から親など周りが“いい”と言うことをやり、テレビや雑誌で良いとされていることを目指してやってきた。

いわゆる優等生ってやつだ。

 

勉強をまじめにやる(結果はさておいて)、ルールは破らない、世の中の非常識とされていることをしない、偏差値の高い大学を目指す、親や周りからほめられる活動をする。

何も考えずに、それらをやってきた。
認められようとし、褒められようとしてきた。

いや、それ以前に、本当に思考停止状態でただ与えられたものをこなし、自分の頭で考えるということをしてこなかったのかもしれない。きっとそうだ。

僕はいったん瞑想を中断し、今感じたことをメモ用紙に書きなぐった。

“自分と向き合うこと。もちろん自分の全てはわからないしわかる必要もない。人は変わっていくものだから、自分を知ったところで自分はこういう人間だと断定するのもいいことではない。ただ、今の自分を知ろうとしてある程度知ることは今後の人生を充実させて生きていくのに大いに役に立つ”

 

今まで、こんなことを考えたこともなかったし、感じようともしなかった。なので何か不思議な気持ちだった。

でも、本に書いてある

“自分の中に全て答えがあります”

という言葉は何か真理を言っているような、なんかそんな感じがした。